「なとなく」を使ってる人は要注意?
• わかっているつもりで使っていた言葉
ある日、カウンセラーをやっている方にカウンセリングをやってもらう機会があった。
カウンセリングでは自分の性格や趣味、日ごろの生活スタイルなど聞かれた。
僕はその一つひとつに私的やアドバイスをしてくれると思っていたが、そんなことはな
く、基本的にカウンセラーが僕の話を聞き、それに質問などをして、聞くといった感じ
で、想像と違った、おしゃべりみたいだった。
とても意外だったし、最初は物足りなさを感じ少しがっかりした。
心理カウンセリング(メンタルケアセラピスト)心の苦しみの原因をひも解き、適切な
アプローチによって本人の気づきを導くタイプらしいので、アドバイスや指摘を求めて
た自分が間違いだった。
しかし、その一つひとつの質問の答えに「なんで、そう思うの?なんで好きなの?なん
でそれがいいと思うの?」と問い詰められました。
問い詰められていくと、抽象的な表現を使って表してきたものが、次第に具体的な表現
を使って説明しなくてはならなくなっていく。
しかし、自分の感覚やイメージを言葉で説明できず、「なんとなく.」、「なんていう
の…○○ではないんでよな..」と答えるしかなかった。
特に印象的だったのが、自分の性格について聞かれたときだった。自分は客観的に周り
や自分についてみることができると答えた。
すると、カウンセラーの方が、「客観的とはなに?」自分「いろんな視点から見て、判
断することできること」といいました。
カウンセラー「いろいろな視点ってなに?」
自分「…テレビや人の話、今まで自分が見てきたものから得た情報だと思います」
カウンセラー「それって自分のフィルター通っているから客観的って言えるのかな?」
自分「確かに…」
そこで初めて、自分の客観的と言ってた視点が、自分の今まで生きてきて得た情報を取
捨選択していた、バイアスのかかった意見だったということに。
そして、日ごろどれだけ自分が安易に言葉使っていたのか。
また、物事を捉えるときに抽象的な表現で頭にインプットしていたこと、流れてくる言
葉を表面的で受けとめ、それを利用していたのかに気づたと同時に自分や物事について
以前より理解することができた。
わかったことは、自分の感覚やイメージをうまく言語で表現し、頭にインプットできれ
ば、そのことについての理解度が上がるし、うまく相手に説明することができる。
これをきっかけに、日ごろから使っている言葉と自分の感覚が違うときや疑問に思う物
事は自問自答を繰り返して、解像度を上げるようにしています。
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